2017年9月10日(土) 1005回目
<自反尽己(じはんじんこ)>
致知10月号(致知出版社)
「自反尽己」 より抜粋
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自反尽己とは、自らに反(かえ)り己を尽くすことである。といってもいまひとつ分かりにくいかもしれない。平たく言えば、自反とは指を相手に向けるのではなく自分に向ける。すべてを自分の責任と捉え、自分の全力を尽くすことである。
自反は孟子がよく説いた言葉である。『孟子』にいう。
「ここに人有り。その我を持つに横逆(おうぎゃく)を以てすれば、則ち君子は必ず自らに反るなり」
ここに一人の男があって、自分に対して非礼無礼な態度を取るとしたら、相手を批判するのではなく、有徳の人は必ず自分を反省する、というのである。
十二年籠山行(ろうざんぎょう)の満行者、宮本祖豊(そほう)さんからうかがった話が忘れられない。
禅の名僧、山本玄峰(げんぽう)師があるところで講演した。それを聴いていた刑務所の所長が、この話をぜひ受刑者たちに聞かせたいと思い、刑務所はすぐに近くだから、ちょっと話をして欲しいと頼んだ。だが、次の予定があると侍者(じしゃ)は断った。玄峰老師はそれを制して、十分くらいなら、と刑務所に立ち寄ることにした。
にわかに集められた受刑者たちは、ざわめいていたが、その人たちを前に玄峰老師は開口一番、「済まんかったなあ」と謝ったという。仏法という素晴らしい教えがあるのに、坊さんが怠けて広めないでいるために、皆さんにこんな不自由をさせてしまっている。本当に申し訳ない、と詫びたのである。会場は静まり返り、涙する姿があちこちで見られたという。
見知らぬ人たちが罪を犯したことも自分の責任と捉え、自分ができる精一杯を尽くす。玄峰老師は自反尽己に徹した人であった。
『致知』は、昨年十月号で「人生の要諦」なる特集を組んだが、その中で三人の方が同じことを言っているのが心に留まった。
一人は渡部昇一氏。幸田露伴(こうだろはん)について語る中で、露伴の『努力論』にあるこんな言葉を紹介している。
「大きな成功を遂げた人は、失敗を人のせいにするのではなく、自分のせいにするという傾向が強い」
そして渡部氏はこう付言している。
「失敗や不運を自分に引き寄せて考えることを続けた人間と、他のせいにして済ますことを繰り返してした人間とでは、かなりの確率で運のよさが違ってくる」
二人目は、ips細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥(しんや)氏。山中氏は、「うまくいった時はおかげさま。うまくいかなかった時は身から出た錆(さび)」を信条にしてきたという。
最後に、松下幸之助氏の言葉。松下政経塾頭を務められた上甲晃氏が紹介している。
「僕はな、物事がうまくいった時にはいつも皆のおかげだと考えた。うまくいかなかった時はすべて自分に原因があると思っとった」
自反尽己。人が生きていく上でのもっとも大事な根幹が、この四文字に息づいていると思うのである。
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人の悪い習性として、物事がうまくいかなかった時は、他人のせい、環境のせい、だと文句や愚痴が出てしまう。その吐いた言葉というものは、毒をまき散らしているが如く、悪臭を放ち、周囲の人たちに伝染していくものである。
それでも、ついつい文句や愚痴がでてしまうのが人間というものであるが、努力することで、改善されていくものと考えるのです。
上手くいかなかったこと、失敗や不運。あるいは、自分ではどうにもならない苦難に出会った時は、他人のせい、環境のせい、と嘆いた所で何も変わることはない。どうにもならないことは、どうにもならないのである。どうやら、その出来事をどのように捉え、向き合い、自分を変えていくしか方法はないようである。つまり、ここで言う「自反尽己」というものなのでしょう。
まずは、「有り難い、有り難い」と感謝すること。感謝を行動で示すこと。そのような思いに至れば、うまくいかなかった時に自責で考えることができるようになると思っているのです。