2016年2月10日(水) 511/1000
<恥ずかしくない人生を生きる>
皆さんおはようございます。
発行:プレジデント社
著者:梅谷忠洋
「リーダーたる者の極意」より引用 その10
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「道徳」は「道」と「徳」からなります。
「道」とは「目標」と「目的」からなります。
「何のために生まれ、何のために死んでいくのか。その間を人生と言うが、それを何のために使うのか、そしてあなたはどこに行こうとしているのか」ということです。
どこへ向かおうとしているかが「目標」であり、形を示しています。何のためにというのが「目的」であり、こちらは心です。その二つが両方揃って、初めて「道」となります。
片方だけでは、まさに片手落ちです。
自分の求める理想の姿であろうとし、それを追い求めて生きるストイックで孤高の姿には、どこから見られても恥ずかしくないように生きるという高潔なる決心、そして「名誉心」、「廉恥心(れんちしん)」が生まれます。それこそが、自らを高めて磨いていこうという決意と覚悟につながります。
「廉恥心」を大切にすると、人間は忍耐強くなります。恥ずかしくない生き方をしようとすればするほど、我欲を抑えを慎むようになります。
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人間は生まれていつか死ぬ。その間を人生というなら、人生の目的は何かという疑問
が生まれてくる。人生の目的なんてありゃしない、そもそもそんなもんはどうでもいいことだ。どうせ死ぬんだから。と言ってしまえば、それまでの話であるが、およそ80年という人生を生きていくためには、生きがいというものがあったほうが、生きる張り合いが生まれてくる。
朝起きて飯を食い、なんとなく会社に行き帰ってきて寝る。その繰り返しの中で、生きる目的を忘れ埋没し人生終焉の日を迎えるのである。果たしてそんな人生でいいのだろうか。
今、自分の立っている場所をよくよく見ることだ。それもしっかりと見ることだ。
そうすれば、何をやらなければならないか薄らと見えてくる。その時、それが良いか悪いものかをきっちりと判断できる高い人間力が身についていなければ誤ってしまう。
だからこそ、日頃から心を磨く努力をしなければならないと考えるのです。
恥ずかしくない人生を生きるとは、人に見られているからというのではなく、自分の行動が道徳倫理の道から外れていないと自分自身に自信をもって言えるかということである。恥ずかしくない人生を生きることは、常に自分への問い掛けのように思うのです。