2016年1月18日(月) 488/1000
<世襲>
皆さんおはようございます。
致知2016年1月号
「一人前と思ったらそこで成長は止まる」より引用
柿右衛門窯十五代当主 酒井田柿右衛門氏
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(酒井田)
先代は柿右衛門を襲名した時に、周りの人たちから「歴代の柿右衛門を超えるような
十四代になってくださいね」と言われたのを受けて、こう返したんです。
「柿右衛門という大木があって、私はその枝の一つにすぎない。大きくなる枝もあれば、そこまで大きくならない枝もある。あるいは、身のつく枝もあれば、つかない枝もあるだろう。これからどんな成長をしようとも、柿右衛門という大木はそこにはえているわけだから、あまり気負わないで、自分の時代を全うすればいい」
私はこれを聞いて、ずいぶんと気が楽になりました。先代までの歴史はもうでき上がっているので、私がどうしようとも変えることはできない。だから、私にできることは自分の代を精いっぱい務めることのみ。
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とても含蓄のある言葉です。
世襲にはいろいろな考えがあると思いますが、私が考える世襲とは、血を繋ぐという単純なものではなくて、これまで多くの人が積み上げ継承してきた全てのものを背負うことであり、次に繋げるという大きな使命を担う。それだけ重いものである。
先代の後ろ姿を見てきた子供には深く刻まれたものがある。ひと言で言えば、「責任」というものでしょうか。この責任は命がけとも匹敵する強い念いに支えられている。単に地位や財産を受け継ぐものであるとするならば見苦しい。それが会社の社長であるとするならば、働く人が不幸である。
社長になって、もうすぐ6年になる。光陰矢の如しとはこういうことなのでしょう。
自分では到底創業することはできないものを、世襲で社長を受け継いだ。ならば、この役割を天から与えられた天職と思い、精いっぱい尽くすことが役割であると考えています。