2015年12月24日(木) 463/1000
<実るほど頭が低くなる>
皆さんおはようございます。
致知出版社発行
「女子の武士道」より引用 その17
石川真理子氏著
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「”えばりんぼ”ほど中身がないということを覚えておいで。稲穂はたわわに実れば実るほど頭が低うなる。稲穂じゃなくとも、豊かに実れば枝先は低うなる。人間もまったく同じで、おのれ自身が豊かな人ほど心が寛大になるから腰が低うなるのですよ。それも、立場が弱い者であるほど、相手に対する憐憫(れんびん)も手伝って、自然に頭を下げるようになる。それこそが真の気高さというものではないかと思いますがね」
論語には次のような教えがあります。
仕事を先にして利益は後まわしにするのが、徳を高めることではないか。自分の悪い点を責めて人の悪い点を責めないのが、邪悪を除くことではないか。一時の怒りにわが身を忘れたうえ、近親まで巻きぞえにするのは、迷いではないか。
祖母はまさにこのようなことを自分に課して生きていました。だからこそ、たわわに実る稲穂のようであることができたのでしょう。
損得にとらわれず徳を追い求め、常に自分を省みて容易に憤らないようにすることを自分に言いきかせ、いつか本物の気高さを身につけたいものです。
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良心の裏側に邪心が潜む。この邪心がやっかいなのである。表にはでないが、自分には嘘はつけない。いつも見え隠れしている。その誘惑に引きずり込まれないようにするためには修養を怠らないことであると考えるのです。
年下、弱者、部下など、どんな人にも生意気にならず、謙虚な姿勢が大切である。「自分はまだまだである」、「多くの人から学びたい」、「もっと成長したい」という姿勢が自然に頭が下がってくる。学ぶということは、教えていただいたという感謝の心となっていくと考えるのです。
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という言葉があるように、少々上手くいったくらいで、天狗にならず、謙虚に学び続けていきたいと思います。