2017年4月28日(金) 954/1000
<ネバネバ人間>
皆さん、おはようございます。
「努力ゼロの幸福論」大和書房 その5
著者:小林正観氏
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子どもに対して「こうあるべきだ」「そうじゃないといけない」と自分の理想を押しつけている親がいます。こういう自分の「ねばならない」とたくさん持っている人を「ネバネバ人間」と呼んでいます。
なんでネバネバなのか。
「ねばならない」の「ねば」だとはおわかりいただけたかと思います。
もう少し想像を広げてください。「ねばならない」を口にする人はどういう人物でしょうか。自分が絶対だ、と思っている人。確かにそうかもしれません。さらに、もう一歩進めて、その「絶対」の拠りどころはどこにあるのか。それは「執着」です。他人の意見を受け入れずに、しつこく、ねばっこく、己の主張にこだわる。「ネバネバ人間」には、その「ねばっこく」の意味も含んでいます。
「ネバネバ人間」はある意味、不幸なのかもしれません。人と比べることでしか生きていけない。人に弱みを見せることもできない。子どもに対しても同じです。
子どもが分別つく年頃であるなら、なおさら心のネバネバを捨てて、まっさらな気持ちで向き合ってみてはいかがでしょうか。「ねばならない」はあなたの勝手な決めつけです。そこからお子さんと、そしてあなた自身を解放してあげてください。
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僕は子どもの頃、仲間外れになるのがとても嫌でした。だから出来るだけ、やりたくもなくても人と同じようなことをしていたように思います。別の言い方をすれば、自分に蓋をするとでもいいましょうか。
子どもたち一人ひとりに個性があるように、好きな事や得意な事が違います。けれども、そんなことよりも親たちは、「みんながやっているから」と言って、子どもの意志は無視して親の言いなりにさせようとしたり、人と比較して優位に立たせようとするわけです。そうして親の言うことをよく聞く子どもを、「良い子」となるわけです。これを親のエゴといいます。我が家でも随分と親のエゴを押しつけていたんじゃないかと思うのです。
「ねばならない」というのは、窮屈で苦しくなります。私たちは、「ねばならない」という執着の世界に閉じ込められていることに気づいていないんですね。僕もべったりと「ネバネバ人間」。
屁理屈かもしれませんが、ネバネバ人間は、こだわり人間という側面もあります。こだわりが執着でもありますが、「こうなりたい」という思いです。これがある意味、自分の行動を突き動かしていきます。
なんだかよく分からなくなってきましたが、
「ああするべきである」「こうすべきでない」「せねばならない」「してはならない」という執着のネバネバよりも、「ああしたい」、「こうしたい」、「こうなりたい」という自分の心に従って、素直に行動していきたいものです。