2017年4月27日(木) 953/1000
<実践の中から得られるもの>
皆さん、おはようございます。
「努力ゼロの幸福論」大和書房 その4
著者:小林正観氏
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「トイレ掃除ができるような人格者になりなさい」
私はそう伝えようとしているわけではありません。損得勘定でいえば「得」をするからやってみてはいかがでしょうか、と言っているのです。トイレを掃除すれば、「得」することがあると思えたら続くでしょう。
ところが人格論として、
「すすんでトイレ掃除ができるような人になりなさい」と言われてもなかなか続かない。どうやら人間はそんな立派な構造では生きていないようです。
邪心や下心がまったくない。そんな人は神の領域にいるので肉体は与えられていないはずです。もう人間を卒業してしまっている。もしあなたがまだ肉体を持っているならば、人間としてもっといろいろな体験をしたいという証です。それなら、損得勘定で生きていくことは、とても自然なことでしょう。
だから、私は100パーセント美しい心でやっていこうと思わなくてもいいと考えています。むしろ、究極の損得勘定ができる人、究極の欲深い人になってほしいのです。そうすれば臨時収入もどんどん舞い込んできます。
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トイレ掃除やゴミ拾いも、自分を変えたい、よくしたいので始めました。別のいい方をすれば、小林さんの言う、「得」をしたいからと言えます。やはり、損得勘定なんですね。
そんなことをやっても何も変わらないよ、ってはっきり分かっていれば、やっていないかもしれません。人間とは自分のためにならない、「得」にならないことは、動かないものなんでしょう。
如何なる理由にせよ、何も行動をしない人、つまり怠け者より、行動する「実践者」の人の方がよいということですが、ここで肝心なことは、人に迷惑を掛けない、人の道から外れない、不自然でなことはやらないということです。
「あの人、いいことやってるよね」と言われている当の本人は、自分のために行動しているという、美しさと醜さの両面がありますが、人間はそんなもんだと思うんです。陰と陽です。
要は、実践の中から得られる「気づき」と言いますか、自然に得られる「心の上昇」が大切なんだと思えています。