2017年4月26日(水) 952/1000
<得と徳>
皆さん、おはようございます。
「努力ゼロの幸福論」大和書房 その3
著者:小林正観氏
******************************************************************************************
私の中には、何かを「やらなければならない」という意識はありません。「ありがとう」を言うのも、トイレ掃除をするのもすべて損得勘定の「得」で動いています。
なぜ、そういう考えなのか。
答えはいたってシンプルです。損得勘定の「得」で動けば長続きする。ただそれだけです。どんなに下心があって、野心があったとしても、実際に行動に移した人を「実践者」といいます。この実践者になることこそが、人間に与えられたひとつの生きる命題です。
私の場合は損得勘定で生きている。「人に喜ばれるための存在」になるのもひとつの損得勘定です。自分のためだけではなく、まわりのためにですが、「損」ではありません。そのことでまわりから感謝されるならば、それは「徳」を積んでいることになると思います。まさに人徳の「徳」とは損得の「得」なのです。そういう生き方を続ける人には、人もお金も集まってきます。
無理して人徳を身につけて高潔(こうけつ)に人になろうと考えなくでもいい。「得をしたいから」とまわりのために続けていれば、自然と人徳は積み上がっていくのですから。
******************************************************************************************
人間の奥底の心理のように思えてきました。自分が疲弊し自己犠牲してまで、相手のために、社会のためにと行動するとするならば、無理があり長続きしません。
小林さんの言う「人に喜ばれるために」というのは、「自分のために」、「自分の満足のために」という言い方ができるかもしれません。それが相手の喜びであれば、2倍の喜びです。「人の喜び我が喜び」という言い方もできます。「自分のためだけ、自分だけよければよい」というのとは違います。
小林さんの言う「得」という考え方は、救われる言葉のようにも思えてきました。
損得の「得」で動くということを醜い自分であることを認めたくない自分もいたんです。でも、「得」で動くことは、「徳」を積み上げていくことでもあるんですね。 いづれにしても、行動しなければ何も生まれません。
「得」で動き、「徳」を積む。すっきりしたような感じがしています。