2015年11月28日(土) 437/1000
<成長のステージ>
皆さんおはようございます。
発行:致知出版社
致知12月号より引用
「極限の行に挑む」
比叡山延暦寺円龍院住職 宮本祖豊氏
比叡山延暦寺大乗院住職 光永圓道氏 対談その2
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(宮本)
自分の精神レベルを上げるためには自分の体を犠牲にしなければならない。それが行というものです。楽をして精神レベルが上がるものなら、それに越したことはありませんが、レベルが上がるのに見合うだけの苦しみを自ら体験していかなければ、人間は一歩も成長しないのです。
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確かに楽して成長できるものではなく、日々の努力というものが欠かせない。しかし、自分の意志とは無関係に、天から精神レベルを向上させるステージをちゃんと与えられる。その場所に上るか否かは自分に選択権があるが、そのステージにあがらないと絶対に成長というものはありえない。
私たちは過去、知らず知らずのうちにステージに上りクリアしてきているから、それなりの成長をしている。しかし、自らの逃避によって上らないステージの数が如何に多いことだろうか。それに全く気づいておらず成長の機会を逃してきた。実にもったいない話である。
逃避を続けステージの下で安易な生活を続けていると、言うなれば、肉体的には大人であっても精神的には幼児性のままの大人となる。そんな大人が実に多いことか。
積極果敢にステージに上り、見事に舞い踊り、次のステージへと進んでいくことで得られるものは、成長という実感、つまり仕事観、人生観のステップアップ、そしてこの世という世界観が見えてくるような気がするのです。それが生きがいとなり人生が楽しくなってくると考えているのです。