2017年4月25日(火) 951/1000
<人生は感謝する場>
皆さん、おはようございます。
「努力ゼロの幸福論」大和書房 その2
著者:小林正観氏
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あるとき、講演会の最後に質問をいただきました。
「今日の先生の話を聞いてわかりました。この世の中は、瞬間瞬間すべてが修行の場なんですね。この世では何があっても我慢をし、何を言われても耐え忍ばなければいけないんですね。今、目の前で起こっている出来事は全部自分の修行のためにある。だから逃げずに立ち向かい、壁を乗り越えなければいけない。そういうことですよね?」
この方のように「人生=修行」と捉える人は世の中にとても多いようです。しかし、私の知っている「宇宙の法則」によるところの宇宙構造としては、この世は「修行の場」として設定されているわけではありません。
物事を捉える力、それを「認識力」というならば、その力が増すにしたがって見えてくるものがあります。実は世の中には「段階」が3つあるのです。
①第一段階「この世は修行の場」である。
目の前で起きているすべての現象は、「私」に修行をさせるためにある。「人生は苦しみに満ちている」と悲嘆にくれるより、「苦しみや悲しみを乗り越えていくしかない」と考えるほうが、一歩前進しているといえるかもしれません。そう割り切ることで心が軽くなるのであれな、そのように捉えてもいいと思います。ただ、本質的には、この世は「修行の場」ではありません。
②第二段階「この世は、喜びの場」
私たちがこの世に肉体を持って生まれてきたのは、「人生を喜ぶため」だと考える段階です。このことが見えてきたのなら、あなたの認識力は100点満点の66点か67点、3分の2ぐらいまで到達したといえるでしょう。
③第三段階「この世は、感謝の場である」
こう認識することができたのなら、ほぼ満点といってもいいでしょう。人生はつらい修行の場、幸せや喜びの場でもなく、実は、「ありがとう」という「感謝の場」であることに気づくのです。
たとえば、恋人と別れたとします。「悲しいけれどそれが現実、それが人生。人生は修行の場だ」と第一段階の見方をする人がいてもおかしくありません。
もしあなたが第二段階の認識力を持っているとすれば、「あの人と別れて新しい人と巡り会えるかもしれない。それは楽しく、とても幸せなことだ」と考えるようになるのです。もうすでに第三段階にいるなら、「あの人と別れたからこそ、私にとって本当に必要な運命の人と出会える」と、「別れたこと」にも感謝できるでしょう。
誤解してほしくないのは、「人生は感謝の場だと捉えるべきだ」と言っているわけではありません。あなたが「修行の場」だと捉えて人生がうまくいき、そして楽しいならば何の問題もありません。ただ、そう考えるよりも「この世は、感謝に満ち溢れている」と認識することで、もっとラクに生きていけるならば「感謝の場」として捉えてみてはどうでしょうか、ということです。
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家庭も仕事もいろいろな出来事が起こります。どんなことがあったとしても、「有難い」と思っていたいと思うのです。辛いこと、苦しいことを「有難い」と思うことは、結構大変なことかもしれませんが、「この辛いこと、苦しいこと」を経験できるからこそ、強い人間になれる。そんな気づきの機会をいただいたことは有難いことだと感謝できる大きな人間になりたいものです。
「人生は感謝する場」ということは、自分は一人で生きられない、多くの人に支えられていることに気づくからこそ、感謝の心が芽生えてくるんだと思うのです。