2015年11月11日(水) 420/1000
< 「やる」ということ>
皆さんおはようございます。
致知11月号
「後から来る者たちへのメッセージ」 その5
日本を美しくする会相談役 鍵山秀三郎氏
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私は草取りをする時、草の根元をもった瞬間に、どれくらいの力をいれ、どう引っ張ったらうまく根がぬけるかということを一回一回しっかりと意識しながらやっています。
これまで大勢の人の作業を見てきましたが、普通は草取りなど大して価値もないということで無造作にやる人が多いですね。けれども私は、どうすれば綺麗に抜けるか、一回一回、一工程一工程に意義と価値を感じながらやっているのです。
ですから、私が草取りをした後はものすごく綺麗ですよ。野菜の束のようにきちんと揃えて、根本を人が通るほうに向けて並べてある。皆さん自分の抜いた後と比べてびっくりされます。
なぜそこまでやるのかと申しますと、私がただの草取りだと考えていい加減にやったら、本当に何の意義も価値をない仕事をしていることになってしまうからです。
世の中には自分の仕事をただ漫然と、何の意義も価値も感じずにやっている人が何と多いことでしょうか。そうではなしに、他人から見たらどんな些細(ささい)な、取るに足らないことであっても、自分がやるからには、そこにしっかりと意義と価値を感じ取ってやっていただきたいのです。
そうしたからといって一日や二日、一年や二年では何も変わらないかもしてません。しかしこれが五年、十年、二十年、三十年と続けていくと途轍(とてつ)もなく大きな差になってくるのです。
このことは私のこれまでの人生を踏まえて、皆さんに自信を持って言えることです。
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何をやるにしても、その行動に価値を見出していくのは自分次第であるとおっしゃる鍵山様のお言葉に殴られている感じがした。如何に自分の行動が浅はかで、惰性でやっていた自分があったように思えてきた。
どんなことでも、何か価値をつける、拘ること、そしてやり続ける事。それが大きな成果、大きな力、うねりになっていくんだ。
やり続けることが如何に難しいか分かっています。途中で諦めてしまうのであれば、本当に自分が達成したいと心から思っていなかったと言えます。
「やる」ということは、どんなことでも自分と向き合う覚悟がいります。
やっても直ぐに成果を期待してはいけない。それを何十年やった時に揺るぎない「信念」というものが、できあがるのではないだろうか。