2015年10月25日(日) 403/1000
<他人の意志>
皆さんおはようございます。
9月のハーモニーメールでも取り上げました東京大学教授福島智氏の講演を聞いた。
全盲ろう者で教授になったのは、日本だけでなく世界初。・・・その1
福島氏が語った。
3歳で右目、9歳で左目を失明する。そして18才で失聴し全盲ろう者となった。
宇宙空間でたった一人取り残されたような感じであったという。
苦悩という経験はどういうものなのか自分に問い掛けづつけていた。なぜ、私は全盲ろう者になったのだろうか。いったいこれは、どういうことなのか、原因は何か?
目や耳がダメなことは不思議なことではない、世の中には不思議なことがたくさんある。
例えば、生きていること。何で私は生まれたのか? 生まれたことに意味があるのではないか?
生まれた意味は分からないが、でも意味があるのだろう。だから全盲ろう者になったことにも何か意味があると思うようにした。そう思わなければやっていられなかった。
もし、私に使命があるならば、成し遂げなければならない。それをやり遂げるための苦悩をくぐり抜けなければならない。という仮の結論を出した。
そして、福島氏は力強く発信した。
「私は、大いなる天の意志によって、天の道具となり、何かの目的のために使われている」。という講和でした。
次第に目や耳がもぎ取られながらでも希望を失わず、生きる意味を見出した福島さんの精神力は普通の人の領域ではない。
私たちは生きているが、ただ生きているだけに過ぎないのではないか。
生きる意味、その使命・役割を考えてはいない。朝起き、朝食、仕事をして、それなりの苦悩があり、帰宅して寝る。その繰り返しの中で埋没している。ただ生きているのである。そして、生きる意味、使命を悟らずして、この世を去ることになる。
使命に気づくとは容易なことではない。しかし、このように考えたらどうだろうか。
自分の意志と他人の意志である。他人の意志は、自分の意志に関わらず自分に向かってやってくるが、それを素直に受け取ること。それが使命への道に繋がっていて、何らかの意志によって動かされているのではないだろうかと。
正しい他人の意志を受信するためには、その受信の感度を上げなければ余計なものをキャッチして、勘違いし振り回され誤った方向にいってしまう。
日々の正しい実践の中から自分の心を高め、他人の意志を受け取る覚悟がいるように思えています。