2015年10月23日(金) 401/1000
<やってよかったと言えるまで>
皆さんおはようございます。
致知11月より引用
「至誠は息む無し」より抜粋 その2
論語普及学鑑 伊與田覺氏
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「故に至誠は息(や)む無し。息まざれば、即(すなわ)ち久しく、久しければ即ち徴(しるし)あり」「至誠」というのは天の心であり、聖人の心です。その心はもちろん本気です。思いつきではありません。
「息む無し」とは、休む時がないという意味で、本気だからこそ久しく続くということ。
するとある時、ひょこっと兆しが現れるということです。
松下幸之助さんは、「何か大事を成そうと思うなら、一万回の祈りを捧げることや」とおっしゃていました。一万回の祈りとは、ずっとそのことを考え続けることであり、至誠は息む無しという言葉に置き換えることができます。
そうして一貫して努力を重ねていると、あの時シンギュラー!・ポイント(特異点)に達し、事の成る兆しが現れてくるのです。
本気でやり遂げようと思うことがあるなら、周囲がそれに賛同しようがするまいが、ずっと思い続ける。そのうちに実現のための方法がいろいろと浮かんでくるようになります。
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経営の神様である松下幸之助さんが「大事を成そうとするなら一万回の祈りを捧げる事や」とおっしゃるということは、裏を返せば、松下幸之助さんも上手くいかなかったことがあり、それをどうやったら上手くいくかを考え続けていたということになる。
凡人の私には、そのような忍耐があるだろうか。
行動ではなく思いも諦めてしまうようでは、本当にそれぞ実現させたいと思っていないと考えた方がいいのだろう。それは願望というより希望に過ぎないと思えるのです。
果たして願望のレベルにいっているだろうか。
正しくやり遂げたいことがあるならば諦めないこと。きっと応援者がいると信じたいのです。「成し遂げるまで思い続けろ!」という松下幸之助氏から殴られているような気がします。
挫けそうになる、諦めそうになる、それでも最後に「やってよかった!」と自信をもって言える自分になって終えたいと思うのです。