2015年10月22日(木) 400/1000
<感覚を磨く>
皆さんおはようございます。
致知11月より引用
「至誠は息む無し」より抜粋 その1
論語普及学鑑 伊與田覺氏
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『中庸』に、「至誠の道は、以(もっ)て前知(ぜんち)すべし。国家将(まさ)に興(おこ)らんとすれば、必ず禎祥(ていしょう)あり。国家将に亡びんとすれば、必ず妖(ようげつ)あり」とあります。
国がこれから大いに興ろうとする時には、そこに必ずめでたい兆しがあり、国家が亡びていこうという時には、前もって妖(あや)しい兆しがある。そういう兆しが少しでも現れた時、至誠を持っている人は、これは興るのか亡びるのかが分かってしまうということです。
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良い事も悪い事も前兆があるという。
あんないい方をばかりをすれば人から嫌われるよなぁ。そして、孤立していった。
浮気ばかりをしているから女房に見切りをつけられるよなぁ。そして、離婚となった。
分相応のお金の使い方をしていないよなぁ。そして、破産した。
社長が独断専行ばかりしているから経営判断を誤るんだよなぁ。そして、倒産した。
地域の迷惑を考えない会社だよなぁ。そして、移転せざるを得なくなった。
確かに結果から他人をみれば、なるほどと言えることがよくある。しかし、自分のことはよく分からない。ひとたび都合の悪いことが起きれば、自分は正しい、自分は間違っていないという自己防衛本能が働き出す。なんともやっかいなものである。
だから、自分を客観視できなければ道を誤ってしまう。
自分がやっていることは、正しい行いなのだろうか、人の意見を素直に聞き入れる姿勢であるだろか、と常に自分に問い掛けることをしなければ、直ぐにブレてしまう。そんな思いに至るわけです。
原因と結果。
よい結果にはよい原因があり、悪い結果には悪い原因がある。考えれば至極当たり前である。よい結果は自分のよい行いではなく、多くの人の支えのおかげであると考え、悪い結果は自分に問題があると考えなければ何も解決されない。
そのような思いになれば、少しの悪い兆しを察知して対処していく行動ができるのではないだろうか。
リーダーはそんな感覚的なものを磨き上げなければならないような気がしているのです。