2015年10月13日(火) 391/1000
<心の叫び!>
皆さんおはようございます。
二宮尊徳(二宮金次郎)氏の7代目子孫 中桐万里子氏と座談会 その3
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反抗的な態度、言葉を発するということは無関心ではないのです。何かその人の心に触れているものがあると思うのです。本当にどうでもよかったらコメントさえしない、言われたとおりやればいいじゃん、どうでもいいじゃんという態度になるものです。コメントなんてありません。
いちいち反抗的な声を上げるということは、何かその人の大事なところ触れている、何か感じているからこそ声があがる。そこを潰してしまうと本当に心の窓が閉じてしまうと思うんです。
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「無関心」を中桐さんのおっしゃる相手の心理まで読み込んだ見方をしたことがなかった。
「みんな仲良く楽しくいこうぜ!」という一見誰にでも受け入れられる言葉に対して、
「甘えてんじゃねぇ!」という反抗的な人があったとする。
果たして何が正しいのだろうか? これは正しいという観念でないかもしれない。あえて言うなら、自分も正しい、相手も正しい。というのがよいと思えてきた。
「俺は一人で生きてきた。頼る人がいなかった、だから必死に生きてきた。」という環境であったならどうであろうか。「甘ったれるな!」という悲痛な叫びがでるかもしれない。裏を返すと、そんな温かい笑顔や仲間意識への憧れとも考えられる。
リーダーは、起きている現象そのものに目を奪われてはいけないのだろう。
とても難しい課題である。