2015年10月10日(金) 388/1000
<action型 と re-action型>
皆さんおはようございます。
致知出版社
「現代に生きる二宮翁夜話」より引用 その13 最終回
中桐万里子氏著
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金次郎は、自らの正義感という「答え」を伝えようと動くことはしていません。いつだって、問われたことへの、起きた出来事への、「答え」をしていたのです。
わたしはこれを、actionタイプではなく、re-actionタイプと命名しています。自分を出発点として他社へと向かうのがaction。まずは他者から受け取り、観察し、その応答としてやりとりをする。そのように他者を出発点にしてふたたび他者へ向かうのがre-actionです。
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自分の考えを相手に押し付けてはいないだろうか。相手には相手の考え、価値観がある。自分の方だけが正しいとは思うことは大きな間違いと思わないと何も生まれない。
中桐さんのおっしゃるre-actionは、目の前から飛び込んできた現象、相手からの問い、投げられたボールを受けとりそれを投げ返す。言ってみれば、対応、意見そんな感じでしょうか。
この一節を読んだ時、すぅ~と、素通りするような文章であったがどうも気になって読み返したら考え込んでしまったのである。actionというタイプはいるのだろうか?という疑問である。
人間は何らかの刺激を受けてそれに反応する。
例えば、
待機児童が社内問題であるから、保育施設を作ってみよう。
あの人が最近元気がないから声を掛けてみよう。
という具合に外部からの刺激を受けてアクションを起こしているのではないだろうか。
もしかしたら、正義感という言葉がキーワードになっているかもしれません。
結局、自分なりの答えもでないので、中桐様に直接、問合せをしたところ、次のような返信を頂きました。なるほど、って感じです。
以下、中桐さまより
わたしもまた、まさにその通りだと感じています。
つまりたぶん、「出発点」をどこと考えるかの差・・でしょうか。
待機児童が社内問題であるから、保育施設を作ってみよう。
あの人が最近元気がないから声を掛けてみよう。
これらの発想の原点(出発点)は、すべて世界の側(自分の外)です。
基本的にはこれが、「re-action型」です。
まず世界や相手をしっかりとみて、具体的・現実的なできごとを捉え、
それに対応して、できるだけのことをしようとする姿勢・・でしょうか。
世界に対する謙虚さや、誠実さがスタートになっているわけです。
ここに、お話していた「謙虚なる自信や誇り」をみることもできます。
ただしこれは、自分が積極的にものを企画・立案してゆくような
ある種の主体性や貪欲さに欠けるとみえる場合もあるかもしれません。
他方で、たとえば、同じことでも以下のようだったらどうでしょうか?
保育施設を作ったら、社内のみんなが喜ぶはずだ。
誰にでも元気に声をかけて、明るい職場を作るぞ。
現状がどうこうではなく、理想的な目標とか、高い志とか、正義感とか、
そうしたもの(自分の内)から行動を計画したり開始したりするやり方です。
これが、「action型」です。
これは、ある意味で積極的で前向きな行動として評価されると思いますが
同時に危険を持つ可能性もある気がします。
たとえば、もしかしたら、現状をみたら、ほんとうは子育てのことで
困っている社員さんよりも、親の介護で困っている社員さんの方が多く、
保育施設を作っても、別に誰も喜ばないかもしれない・・とか。
明るく元気に声をかけられたからこそ、悩みが相談しにくくなって、
かえって職場がぎくしゃくする・・なんてことも起きるかもしれないのです。
そしてそんなとき、行動したひとは「なんで自分は正しいことをしたのに、
周囲は理解してくれないんだ!」と思う危険性だってあるかもしれません。
あらゆること(命とか、行動とか、思考とか、成功への道とか・・)を
考えるとき、「現実が○○だから、わたしは△△する」と、現実を先にするか
「わたしが○○だから、現実に△△する」と、自分を先にするか・・。
その違いが、「action型」と「re-action型」を分けるところだと思います。
命が与えられたから、わたしは懸命に生き、事業もうまくいってる のか、
わたしが懸命に生きているから、事業がうまくいってる のか。
つまり、ここで言うならば「事業がうまくいっている」のように、
おおよそ現れている現象や行動だけみると同じにもみえるわけです。
ただ一点、当事者の意識がどこからはじまっているかによって違う、といった感じです。
なお、それはどちらが正しいのか、どちらであるべきか、というテーマではなく、
どちらに美学を感じるのか、という好み?や趣味?のテーマかなとも思います(^-^)。
まだ起きぬ未来のことばかり気にして不安をいだくより、今、目の前に起きている
ことに真剣に向き合うこと。結論はここにあるのではないでしょうか。
私の疑問に心を込めてお応えしてくださいました中桐さまに心より感謝をいたします。