2015年10月1日(木) 379/1000
<真(まこと)の財産>
皆さんおはようございます。
致知出版社
「現代に生きる二宮翁夜話」より引用 その6
中桐万里子氏著
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仕事をしだして間もなくのころ、ある新しいことをはじめるべきかどうか、大きな判断が必要になりました。しかしそれは、失敗したときの途方もない借金を抱えるかもしれない・・・という甚大なリスクが想定されたため、とても迷っていました。このことを、母に相談すると、思いもかけず、母はケラケラと大笑いをしていました。「いまのあなたに、持っていかれて困るものなんて何かある?」と。
そして、弁護士の娘だった母は続けました。「大丈夫。いつでも自己破産の方法を教えてあげるから!」
母は私に伝えたのです。自分が何かを失うことを恐れて決断しないのは、つまらないと。そんなことに心を遣うのではなく、ただただ、それが本当に必要なことかどうか、その一点に集中して判断しなさいと。
わたしは、とてもびっくりしました。なぜなら自分が、持っていかれては困るものを本当に何ひとつ所有していなかったからです。困るもの・・・・・。たとえば命だったり、家族だったりしますが、それは借金をしたぐらいで持っていかれはしないでしょう。そこに気づくことができたとき、不安という霧が消え、事態はすがすがしく、そしてフェアに鮮明になったのを覚えています。
私の家、私の持ち物、私の財産・・・・・。「私の、私の・・・・・」とこだわるほど、どこかで手放しては大変という妙な不安が膨れ上がるかもしれません。そんな風に、本当はありもしない恐怖に呑み込まれたり、自分で自分の首をしめたりするのは、もっと自分が損をすることのようにも感じます。
もしかしたら、金次郎が「この身をわが身と思わず、生涯一途に世のため人のためだけを思い・・・・・」などと語るとき、崇高すぎる自己犠牲の姿に見えるかもしれません。でも、私はむしろ、そこに大笑いした母の姿をみます。そして実体験を通して思うのです。
この発想や覚悟こそ、もっと効率的に自分をラクにし、軽やかにしてくれる、自分をトクさせる秘訣ではないか・・・・・と。
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経営は何のためにやるのか。経営者はよくよく考えなければならないと考えるわけです。雇用している多くの社員、その家族の生活の基盤を支えているわけですから、経営者は極めて重い責任があります。
稲盛和夫氏は「動機善なりや私心なかりしか」。
松下幸之助氏は、「企業は社会の公器である」とおっしゃっています。
自分のやろうとしている方向づけ、考えていることや、行動が自己満足ではないだろうか、公に正しいだろうかと熟慮して行動しなければその責任は果たせない。
しかし、臆病になってもいけないと考えるのです。自分の財産に執着する心と素直に向き合いながら、会社にとって真(まこと)の財産とは、かけがえのない従業員に「働く喜び」を感じてもらうこと、そして世の中にお役に立つ貢献であると考えるのです。
その行動が真に正しければ結果は自ずとついてくると信じたいわけです。
まだはじまったばかりである。目指す会社の姿まで走り続けていきたいと思います。