2015年9月30日(水) 378/1000
<未来を生む力>
皆さんおはようございます。
致知出版社
「現代に生きる二宮翁夜話」より引用 その5
中桐万里子氏著
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金次郎は、自然災害による飢饉に苦しむ時代を生き、農業に命を懸けました。
そんな時代背景をあり、農業やそれが産出する豊かな米櫃は、命を救うためのものと思われがちだったのでしょう。
しかしこのお話からは、彼が、単にそのようには捉えていないことがうかがい知れます。彼は考えているのです。米櫃の豊かさこそが、一人ひとりを冷静な場所に引き戻し、本心に返らせ、礼節をよみがえらせ、覚醒する・・・・・・。そこから人は、田畑を耕しに出たり、未来を担う子どもたちを育てたりする・・・・・と。つまり米櫃は、人を「救う」ためだけでなく、「押し出す」ために必要なもの。それは、マイナスを充足させる力でなく、新しい実りを創造する力として機能する、というわけです。
米櫃(経済)を自らの不足や不満を埋めて満足や安心をくれ、自らを救うものと捉えるとき、もしかしたら永遠に「足りる」ことはなく、不安を生み続けるのかもしれません。
しかし金次郎も言うように、今日の米櫃は、新しい米櫃を生む力でもあり、明日に向かうパートナーでもあります。
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発展途上国では戦争や飢餓に苦しみ生死の狭間で生きている。そんな中でキレイごとを言ったところで通用しない。やはり、飢えていては正気ではいられない。
人間らしい生き方、明日への挑戦、創造という希望に満ちた生き方をしていくためには、お金の蓄えという余力がいるのだろう。さすれば安心する。しかし、安心とは不安の裏返しであり失った時の不安をいつも抱えることになる。
人間の金銭欲は果てしなく、あればあるほど邪魔にならない。銀行の通帳にゼロが増えるという不思議な世界である。
お金を無駄に浪費することでもなく、単に貯蓄すればよいというものでもなさそうである。お金は道具であり、道具は使ってこそ生きてくる。生かして成果となって帰ってくれば喜びとなり、希望となる。その時、過ちに気づき、迷いから覚めるのだろうか。
お金を追えば追うほどお金は遠ざかり、その人から金(カネ)という異臭を放ち周囲は暗黒となる。お金を正しく生きた使い方をすれば、お金に振り回されることなく、きっと未来を生む力となっていくものと考えたいのです。