2015年9月28日(月) 376/1000
<見返りと恩返し>
皆さんおはようございます。
致知出版社
「現代に生きる二宮翁夜話」より引用 その3
中桐万里子氏著
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報徳。それは時に「忍耐をし、善きことをしていれば幸せになれる」といったイメージで捉えられ、「がんばれば報われる」と訳されます。しかし、これは完全に誤訳です。
徳に「報いる」という語は、どう考えても「報われる」とはならないからです。
がんばれば報われる・・・・・。一見すれば正論のようですが、しかしこれは「見返り」の発想です。我慢を強いられてがんばるほどに、「報いて欲しい」と求める力も強くなってしまいます。だからこそ、金次郎はむしろこれを嫌い、否定するのです。
現実を見れば、わたしたちは、すでにたくさんのものを持っています。使える命が、体力が、時間が、知恵があります。さらには、同時代を生きる同志たちの懸命な働きに支えられ、先人先輩たちからの恩恵もあふれるほど受け、日々の生活を営んでいます。そんな風に、すでにたっぷり「徳を受ける」ことで暮らしが成立していると、彼は捉えます。
そしてだからこそ、受けた徳に「報いよう」と考えるのです。それは、「幸せだからがんばろう」という呼びかけであり、「恩返し」の発想です。
お腹いっぱいにご飯を食べること、日常の幸せを再認識すること・・・・・。
質素、倹約、我慢、忍耐といった犠牲の先にではなく、そうした幸福感の先にこそ、報いようとする実践が生まれ、世界が豊かになると彼は信じていたわけです。
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「相手のためにやった!」、という言葉の裏側には、「なんで礼がないんだ!」
「私は頑張っている!」、という言葉の裏側には、「なんで上手くいかないんだ!」。
言葉の裏側に見返りを求めていることに気づく。
二宮尊徳氏のおっしゃる、「恩返し思想」は、既に私たちは、たくさんの恩恵を受けているのだから、そのお返しをしようというもの。凄い考え方だと思えます。それに気づいた時に一つひとつの行動に嫌味がなくなり、素直の心となって相手に、仲間に伝わっていくでしょう。そして、生きていることに、多くの人に支えられていることに、全てが当たり前ではないということに気づくのではないだろうか。
よくよく考えれば、我々は感謝の連続の中で生きていると感じてくる。
だとすれば、「見返り思想」ではなく、「恩返し思想」で生きていく方が自然であり、上手くいくような気がする。
恩返しをして、恩返しがやってくる。また恩返しをする。するとどちらが先か分からなくなり、恩返しのスパイラルとなって、「幸せの好循環」のフィールドに包まれるのでしょう。