2015年9月18日(金) 366/1000
<地球人としての自覚>
皆さんおはようございます。
致知10月号より引用
「日本人の生き方が教えるもの」 対談 その1
東京大学名誉教授 月尾嘉男氏
評論家 渡辺京二氏
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(月尾)
オーストラリアにアボリジニという先人民族がいます。飛行機を二回乗り継いで、ジャングルの悪路を四時間かけて通り抜け海岸まで辿り着くと、四十人ほどのアボリジニが生活している集落があります。
その生活の様子は、「逝しき世の面影」に描かれている江戸末期の日本人のような屈託のないものです。
浜辺に若者と年寄りが寝そべっていて、年寄りが、「腹が空いた」と言えば、若者が海に飛び込んで魚を捕まえ、焚き火の中で焼くという生活でしす。
ところが、その集落の酋長(しゅちょう)の家に行くと、パソコンがあってインターネットに繋がっている。
酋長に「この村をこれからどうしたいとお考えですか」と聞くと、「村人がインターネットを使えるように教育して世界と交流できるようにする。またオーストラリアの実業家と交渉して、この海岸にホテルを建設する計画を進めている」ということでした。
酋長は集落が観光によって豊かになる未来を夢見ているのでしょうが、先進国の人間には彼らの未来の生活が見通せます。おそらく十年もすると浜辺で魚を捕っていた若者たちは、蝶ネクタイを締めてホテルの客に酒や食事を運んでおり、美しい浜辺は建物で覆われています。
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いったい人間の豊かさとは何でしょうか。
現代は科学技術の進歩で便利となり物質文明にどっぷりと浸かっている。経済という名をもとに、自然を破壊し地球を住みにくいものとし、自ら破壊の道に進んでいるように思える。
それは、自然だけではなく、あらゆるものが簡単に手に入るようになったため、
ハングリー精神や物を大切にする心、忍耐力がなくなり、人間そのもの力さえ失いつつある。
人間らしい生き方とはなんでしょうか。
少なくともコンクリートの中で埋もれることでもなく、今更、大自然の中で電機もガスもない、自給自足の生活に戻ることも現実的ではない。
分かり易く言えば、「電気のある江戸時代」とでもいいましょうか。
便利は人間の生活を快適にしていきます。反面、退化していくこともあるでしょう。
「人間と自然」、実に難しいテーマであるが、地球人としての自覚をもちたいものです。