2015年9月8日(火) 356/365
<ルーツ>
皆さんおはようございます。
致知8月号より
禅語に学ぶ 「無功徳(むくどく)」より抜粋 その2
鎌倉円覚寺官長 横田南嶺氏
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孔子は「身を殺して仁を成すあり」と言われている。時にはわが身を犠牲にしてでも人の為に尽くさなければならないという。
ただ、こうして今この世に生まれて、生きていられるということは、不思議なこと、有り難いこと、賜った命なのだと真摯(しんし)に受け止めて、自分の都合ばかりを考えずにこの命を何かのお役に立つようにつとめようと願いたい。
誰かのお役に立ってこそ、はじめて本当のご利益であり、真の功徳でもあろう。
無功徳の一言から学ぶものは大きい。
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こうして毎日、致知の感想を書いていると多くの立派な方が共通して言っていることに気づきます。一語にすれば「徳」ということだろうか。
相手のために尽くす。それが徳を積むこととなり、生かされている自分に気づく。
ご先祖様への尊敬の念、子孫繁栄の念い、すべては繋がっていると分かってくる。
報徳の教えで六百を超える村の再建をされた二宮尊徳氏(二宮金次郎さん)。
二宮尊徳氏のもとで報徳仕法(節約・貯蓄を中心とする農民の生活指導などを通じて農業経営の立て直しと農村復興をはかる方法)を学び、東海地方で報徳社結成の運動をすすめたのが、安居院庄七(あごいんしょうしち)氏
※報徳社とは二宮尊徳の報徳思想を実践して、農村の更生をはかる組織
日本の第一号の報徳社が下石田報徳社(浜松市東区)。
その設立の中心人物が神谷与平治森之であり、下石田に始めて一粒の報徳の種を蒔いた人である。
そしてその種に水をやり、苗に育てたのが、神谷家の二代目当主の長男の神谷与平治森時。花を咲かせたのが三代目当主が五男の神谷与平治正信であった。
四代目当主が神谷喜源治であり、喜源治の娘である六女の「きと」、私の祖祖母である。「きと」は大木家に嫁ぎます。(浜松市東区笠井)。
その夫は大木久市郎(おおぎきゅういちろう)といいます。
松島十湖(まつしまじっこ)
明治、大正の時代に、第二の芭蕉といわれ、全国に多くの門弟を持った俳人で、1874(明治7)年、松島十湖は「三方報徳社」を組織し報徳の教えを広められました。
その松島十湖の一番弟子が大木随處(おおぎずいしょ)。18歳で俳人松島十湖に入門し、後に十湖から「七十二峰庵」の号を譲られます。松島十湖が死ぬまで一番弟子の高弟として尽した方です。
大木随處は俳句会のペンネームで本当の名前は大木久市郎と言います。
私の祖祖父となります。
※参考:「遠州報徳の夜明け」、編集発行人 中村雄次
「久市郎」と「きと」の娘の「たつゐ」が鈴木家に嫁ぎ、生まれたのが鈴木喜徳。私の父です。鈴木喜徳の読み方は、スズキキトク。変わってますよね。孫にあたりますので大そう可愛がられたようです。
祖母の「キト」と祖父の「久(ク)市郎」からキトクと名付けられたようです。
報徳思想のもとで人生を生き抜いた大木久市郎、きとが私の祖祖父母。
その割に道徳心がないと怒られそうですが。。。
という自分のルーツを最近知りました。
ご先祖様のことを調べると実に意味深い。
ご先祖さまに顔向けできるような仕事をしなければという意識が深まってきました。