2015年9月7日(月) 355/365
<お願い事より感謝すること>
皆さんおはようございます。
致知8月号より引用
禅語に学ぶ 「無功徳(むくどく)」より抜粋 その1
鎌倉円覚寺官長 横田南嶺氏
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神仏を拝むご利益とは何であろうか。
「利益」という言葉を辞書で引くと、『広辞苑』には「ためになること。自らを益するのを功徳、他の益するのを利益という。神仏の力によって授かる利福」とある。
自らを益する、自分の為になるのが功徳であり、他を益する、人の為になるのが利益であるという。
松原泰道先生の著書『仏教のことばで考える』
「信仰とか信心とかいうと、自分の願いや望みを叶えてもらうために神や仏に頼むことだと考えている人が多いようです。そしてその頼み事が叶うと「ご利益があった」、叶えられないと「ご利益がなかった」と、どこまでも自分本位で、他人のことなど全く棚上げにして平気です。そんなエゴイズムを信心や信仰というのは正しくありません」と同著で言い切っている。
利益の正しい意味は、他人の為になったり、他人を救うことだとはっきり書かれている。
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よく神社やお寺にお参りにいく。多くの人は商売繁盛、合格祈願、縁結びなどのお願い事をするでしょうね。
すると神様は、「お前たちは願い事ばかりで自分の事しか考えておらん!」と言っているように思えてきた。
。
神様は声を発してくれないので、そんな人を気づかせるために苦難という出来事をくださる。だから、苦難を喜んで受け入れる。という考えに辿り着く。
お参りは、御礼をするところ、つまり「感謝」を伝えるところと考えたらどうだろうか。
多くの人に支えられ、生かされていることを忘れてしまっているようです。