2015年7月24日(金) 310/365
<あぁ、有難い、有難い!>
皆さんおはようございます。
致知7月号
「人生を照らす言葉」より抜粋 その3
国際コミュニオン学会
名誉会長 鈴木秀子氏
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この当たり前のものに目を向けていった時、そこにこそ一過性ではない本当の幸せが隠れていることを忘れてはいけません。それは、健康で生きていられること、歩いたり走ったりできること、働く職場があること、家族と団欒(だんらん)の時間を過ごせることといった些細なことで、いくらでも数え上げることができます。
もし、幸せというものがわからなくなったら、当たり前のように思える、この小さな幸せを一つひとつ数え上げてみたらどうでしょうか。
ただそれだけで幸せ感覚が戻ってくると思います。
当たり前と感じていた出来事に感謝の心が生まれ、生きているそのこと自体に喜びを感じるようになった時、その人は既に「愛と幸せの発信地」となって、社会を照らしているのです。
そういう人が一人、一人と増えていくことで、この社会もきっと明るくなることでしょう。
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誰でも幸せになりたいと願う。私たちは既に十分に幸せを手に入れているのではないだろうか。
鈴木秀子氏がおっしゃるように、健康で生きられること、働く職場があること、家族がいること。これらが本来、当たり前でないかもしれません。
病気になったり、失業したり、家族を失った時に当たり前の有難さに気づくのでしょう。
有ることが難しいと書き、有難いと読む。なんとも意味深い言葉である。
社長にさせていただいて5年が経ちました。
今日も社員が一所懸命に働いてくれている。だから安心できる。私はなんて幸せなんだろうか。
あぁ、有難い。有難い。
だから、もっと社長としての役割を果たさねばならぬ。そんな念いになるのです。
夏本番まじかだ。働く人には過酷な労働がまっている。
毎日、無事にけがなく帰ってきてくれることを願うのです。
今日も朝がきました。一日の始まりに感謝をして一生懸命に働いていこう