2015年7月21日(火) 307/365
<迷いを使ってゆけ>
皆さんおはようございます。
致知7月号
「すべてに感謝する心が新たな扉をひらく」より抜粋 その1
エッセイスト 鮫島純子氏
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一冊の本を渡されたのです。それでどんな本かと聞きましたら、どうやら新興宗教の本のようだと思いました。
現世のご利益先考の人集めかと警戒していたのですが、いざ読み始めてみましたら、これは大したものだと。
宇宙的に目に見えない世界のことに触れていて、例えば肉体というのは、期間限定ですけれど、魂は地球という三次元世界に神の国、平和な世界を創れる人類になるまで永遠に続くものだと。
人生は肉体を持ちながら魂を磨いて、次元をアップしていく練習場で、人間が死ぬと再び元の波動に戻りやがて地上に誕生し、肉体という衣をまとって愛の練習を繰り返しているという内容でした。
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日本人は宗教という言葉を嫌います。直ぐに新興宗教を連想してしまうからです。しかし、私達の身の回りは宗教でいっぱい。初詣、初日の出、葬式、お盆、地鎮祭、お祭り、火の神様、水の神様。
日本はそもそも八百万の神ですから、なんにでも神様がやどっているという考えで生活と密接に関係しています。そして、日本は他の宗教を排除することはしませんから宗教で争いごとはありません。
さて、この世、あの世のことを考えても凡人の私にはよく分かりませんが、この世が全てで、死んだら終わりという考えは性に合いません。
仏教には輪廻転生という考えがあります。死んであの世にいった魂が何度も生まれ変わるという考えです。
普通の人は前世の記憶がなく、死んだ時にその記憶が戻るそうです。
それでは、「あの世だけでいいじゃないの」という疑問があります。
仏教の教えでは、魂にもレベルがあって、この世とは魂を浄化するための修行場ということです。では修行場に相応しい行動をしているかどうかを見つめる必要があります。
「あいだみつを」美術館に行った時、ある詩に目がとまった。
(迷い)
生死というのは、この場合は人間の迷いのことだと思います。
迷いというのは、仏道を修行する者(仏家)にとっては、日常生活の調度品、道具のようなものだ、というのです。道具だから使うのはこっち(自分)です。反対に、道具に使われたらダメですね。
迷いにふりまわされないで、迷いを使ってゆけ、ということでしょう。・・・・・
今の心の状態が「迷い」であるから、この詩と波動が繋がったのでしょうか。
「迷いを使ってゆけ」とは、どういうことだろうか。
どんな事をしても迷い悩むが、道は選択しなければならない。その道の先に何があるかわからないから不安を抱く。だから迷う。
自分を信じることだ。