2015年7月9日(木) 295/365
<枠から飛び出すこと>
皆さんおはようございます。
致知7月号
「我ら八十路も溌刺(はつらつ)と生きん」より抜粋 その2 (対談)
東洋思想家 境野勝悟氏
ホリプロ創業者 堀 威夫氏
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(境野)
道元の有名な言葉に「仏道を習うということは自己を習うなり。自己を習うということは自己を忘るるなり」とあるんです。この「自己を習うということは自己を忘るるなり」がどうしても分からなかった。だって、忘れたら何も習えないわけでしょう。その答えが道元に書物のどこにも書いていない。だけど八十歳になって、「ああ、そうか」と思うようになったんですよ。
つまり、これは頭で覚えている世間の規範だとか、善し悪しといったものを忘れろという意味なんだと。八十歳までの僕は、人にけなされないように生きようとか、人に笑われないようにしようとか、そういうことを考えながら自分を鍛えてきた。それは悪いことではないと思うんだけど、長いことやっていると、自分の心が自由にならないんですね。
つまり生きていてよかった、という本心からの喜びではなく、周囲から見られるための自分がいつの間にか形づくられていて、本当の自分は眠ったままになっている。そのことに気づいたんです。すると、不思議なことに自分はどう思われてもいいじゃないか、どうせ学校では大して勉強したわけでもないし、という思いが湧くようになりました。だから、本当に自分らしく生きられるようになったのは八十を過ぎてからですよ。
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世間体を気にして世間の常識に合わせようとする。それは、自分を守ろうという本能というものではなかろうか。
世間の常識の枠の中にいる限り、反発に合うことも少なく、人と同じであるので安心する。
しかし自由ではない、自分ではないかもしれない。
本当は何をやりたいのだろうかと自分に問いかける。
その答えの後に出てくる感情は、
「そんなの無理だ、夢だ」
「そんなことは反発があるだろうな」と。
世間の常識に逆らうと逆風を予想して尻込みする。
自分で未来を勝手に決め込んで前に進めなくなってくる。
なんとも情けない自分がそこにいるわけです。
人にどう思われようが、大事なことは、
本当にやりたいのか、やりたくないのか。
いい会社にしたいのか、したくないのか。
幸せな家庭を築きたいのか、築きたくないのか。
よい人間関係にしたいのか、したくないのか。
心の底から叫びたくなる念いだろうか。
誰しもよくしたいに決まっています。
枠から飛びだし、新たな挑戦をすることが進歩発展に繋がっていくのだと考えるのです。
その挑戦は、難しいことでは長続きしない。
小さな実践をやり続けることが大きな力になってくると思えるようになりました。