2015年7月8日(水) 294/365
<心を鎮めること>
皆さんおはようございます。
致知7月号
「我ら八十路も溌刺(はつらつ)と生きん」より抜粋 その1
(対談)
東洋思想家 境野勝悟氏
ホリプロ創業者 堀 威夫氏
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(境野)
僕たちは誰もが未来や過去のことをあれこれ考えて重いを煩(わずら)うわけですが、東洋的、禅的な生き方は、いま、ここに意識を向けることなんです。
いつでも今日一日が問題だから、目標や夢を求めて生きるという発想は禅にはない。それがいい生き方かどうかは分からないけれども、僕は今日一日が勝負と思って生きてきました。
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今日に集中して、今日を精一杯生きること。そんな毎日であれば後悔することはないのだろう。
そして目標や夢があるからこそ、今日を意義のあるものに導くことが出来ると考えるのです。
禅のことはよく分からないけれど、「静」ということだろうか。
我々一般人は、坐禅によって、波打つ心を静めて、何も考えない世界に心をもっていく。そのような訓練することで自分の心が見え、周りがよく見えるようになるということだろうか。
「静」と「動」の心のバランスは、外的要因から保つのが難しい。ストレス、過労、人間関係など「動」の力が重くなりバランスが崩れる。だから、短時間でも坐禅をして心を静めることは意味があり、「直感力」が冴えてくるように思うのです。