2015年5月25日(月) 250/365
<半分従い、半分逆らう>
皆さんおはようございます。
致知出版社:「二宮金次郎に学ぶ生き方」 その3
二宮金次郎 七代目子孫 中桐万里子氏
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自分は相手に「半分従い、半分逆らう」と動けばいい。
例えば、「従う」とは、もちろん呑み込まれることや、言いなりになることではありません。そうではなく、相手を「知る」ということ。そんな目の前を「よくみる」ということ。
さらに、どんな現実が流れてこようとも、肚(はら)と決めてまずは、「受け容れる」ということです。
そして、「逆らう」とは、現実を批判したり、避難したり、反抗したりすることではなく、その現実に向き合ったうえで「対策する」ということ。「工夫する」ということです。
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誰しも自分の考えが正しいと思ってしまう。そこには、自己否定をしたくはないという心理が働く。だから、相手が間違っているという批判となり問題の解決とならない。
相手が何を思っているのか、考えているのかと、相手に思い切って飛び込んでみる。
そして、お互いの意見を一旦は受入れることが大事であるように思えてきた。影口を言っているようでは、解決にならない。
それは、どんなことでも同様である。起きている事はどうにもならない。愚痴を言ってもはじまらない。
問題の対策をとり解決をしていくことが成長と考えるのです。一番最悪なのは、愚痴や批判だけで何もしないということ。
「半分従い、半分逆らう」とは、相手の意見を全て受け入れることではなく、半分は承認して、半分は自己主張をして行動することなのでしょう。
至極当たり前の事のようですが、行動の難しさを感じます。
やはり、自分を如何に客観的に見る事ができるかにかかっているように思えています。