2015年5月15日(金) 240/365
<性善説>
皆さんおはようございます。
二宮金次郎の幸福論」より抜粋 その12
二宮金次郎 七代目子孫 中桐万里子氏
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「廊下を走るな!」とか、「トイレを汚すな!」とか。
走るような悪さをするだろう、トイレを汚して困ったことになるだろう・・・という相手の悪性を想定し、そこに声をかけ、相手をコントロールするのです。
自分は善なる存在で、相手は悪なる間違った存在である。ここに想定されているのは完全な敵対関係です。
他方、「善の育み」を目的としたきまりもあります。
「廊下は歩こう」とか「トイレをキレイにご利用いただきありがとうございます」とか・・・・・。
相手の善意を前提にして、信頼し、彼らの良心に向けて、こちらの願いを声にするのです。ここには、仲間としての共生関係があると言えるでしょう。
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長野県伊那市にある伊那食品工業へご訪問した時の丸山取締役の言葉を思い出します。性善説で経営をすることです。人間は正しいということ。
「例えば、営業マンに社用車を与え、訪問先、走行距離、給油量などを書かせたとする。これを管理という。なぜ書かせるのだろうか。これは信用していないからである。
その営業マンを信用し車用車の日常管理を任せれば、管理に必要な書面の記入はいらない。そんな記入をしている時間があったら、1件でも営業訪問した方がよい。管理はくせ者である。」というのです。
備品の管理も同様である。備品の持ち出しに記入をさせたり在庫管理をしている。人を疑っている管理である。結局在庫は合わなかったりする。備品の管理をすれば、結構な工数がかかるものである。
要は発注時期と発注数量が分かればよいのである。それは仕組みで対応できる。
人は正しい、性善説。
それを経営に取り入れることが管理が省け人が本来もっている善の心が力になってくると思えるのです。