2015年5月12日(火) 237/365
<生きているからこそできること>
皆さんおはようございます。
二宮金次郎の幸福論」より抜粋 その9
二宮金次郎 七代目子孫 中桐万里子氏
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一人ひとりに生命が与えられ、肉体が与えられている時間は長いようでとても短いものだし、その期間、人間は仏のようには過ごせない、さまざまな現実的な制約や苦労がついてまわります。
一般的に人は、「死んだのちの世界」にある種の希望を見出そうとします。
生きているときには手にできない力や自由を、そこではじめて得るように考えるわけです。
しかし金次郎という人物は、あくまでも「現実」や「いま、ここ」のうちにしか、さまざまな可能性がないことを主張します。
生きているからこそできること、生み出せるもの、可能なこと・・・・・・。
彼は現実という場所に、生きることが許されている時間の中にこそ希望があることを信じ、現実への信頼を基盤に、実践を積み重ねつづけます。
金次郎から言わせれば、「仏」も「極楽浄土」も、死んだ者たちが手にする称号ではなく、生きている者たちが味わう体験そのものだということです。
人を仏にし、世界に極楽浄土を創造できるのは、わたしたちの命であり、実践と行動だけだと言うのです。
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なんとも深い言葉である。
人の寿命は80年くらいと言われる。人が死んで生まれ変わるという輪廻転生があるとすれば、現生で生きる80年という月日は一瞬でしょう。
では、なぜ人は生まれ変わるのかという疑問である。それを考えても答えはでない。
しかし、この世に生まれることは、現実という厳しい環境の中に生きていかなければならない。元来、この世とは苦しいものなのだろうか。そう考えると、この世が牢獄の如く地獄となっていく。
そうではない。出来ないことを出来たという喜び、試練を乗り越えたという誇り、人と人との繋がりの中から感じ得た感謝。全ては心から叫びたくなるほどの生きる楽しさ、充実感。それを感じ得た時にこの世で生きてきたことに達成感を得られる。未練がなくなる。この世から去る時に後悔のないようにしたいものです。
この世の時間は有限である。生きているからこそできることがある。
それを全うしていこうと考えるのです。