2015年5月8日(金) 233/365
<0と1>
皆さんおはようございます。
「二宮金次郎の幸福論」より抜粋 その5
二宮金次郎 七代目子孫 中桐万里子氏
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猛烈な実践主義者だった金次郎が、いつだって大事にしていたのはとても小さな行動でした。
あるときわたしの母は、皆既日食を体験するツアー旅行に参加しました。帰宅後の彼女はしみじみと言いました。「0と1の違いに感激した」と。
100パーセントの太陽がどんどん欠けていく間、正直そんなに大きな差は感じなかった。太陽がたった一カケラでも見えている限り、世界は闇にはならないから。
ところが、これが完全な0(ゼロ)になったとき、一気に暗黒に包まれる。けれどふたたび、一カケラの光が戻りさえすれば世界はちゃんと明るくなる・・・・・・・。だから、「決定的な変化」は、1と100の差にではなく、0と1の間にこそあった。そう彼女は語ったのです。
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実践力を身に付けるためには大きなことは長続きしない。
小さな行動を継続することです。
それが「0と1」の差であるという。
「0」は何もやらないこと。存在しないことである。
「1」は実践であり、存在そのものである。
存在していることは十分に価値がある。それを磨く努力を惜しまないことである。
「1」は自分自身の実践であり存在と考えてもよい。
どんな小さなことでもいい。実践することである。
「1」の価値を見出し、「1」を磨き続けることが大きな力になっていくと考えたいのです。
入出運送では、挨拶と掃除の実践に拘っている。誰にでもできることである。
しかし挨拶に仕方にも千差万別。掃除も同様である。
これに拘りをもって取り組むことが、その人の人間性を創っていくものと思うのです。
しかし、1が100になると思えない。
なぜなら、とてもシンプルで意義を感じにくいものだからである。
シンプルなことはライバルとの差は小さい、しかしその継続が「絶対差」になっていくと考えたいのです。