2015年4月19日(日) 214/365
<習慣は第二の天性をなす>
皆さんおはようございます。
致知5月号
【福澤諭吉的教育論】
真に人の賢不肖は父母家庭の教育次第 岩﨑 弘氏
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福澤家には致知が残した家訓がありました。
「誠意誠心屋漏に愧じず(せいいせいしんおくろうにはじず)」
人の見ていないところにいても自分の身を戒めつつ恥じるところがないように心掛けよ)
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なんとも意味深い家訓である。
人間は弱い。人の見ていない所では弱い心がささやいてくる。
自分の決めたことはやる。人が見ていなくともやるのである。
しかし、やろうとする心と、手を抜こうとする心が葛藤する。
そして反省の毎日が続く。反省するなら「やれ!」と自分の心が叫ぶ。
人が見ていない所で手を抜くというのは、自分の弱い意志に他ならない。
自分の心もコントロールできない人に「いい仕事」はできない。
やった方がスッキリする、気持ちがいい。そして、弱い心の自分に勝てた気がする。
連勝が続けば、それが成長となり習慣となっていくのでしょう。
自分に勝つためには、信念を持つこと、習慣を身に付けることであると感じています。
しかし実践の難しさを感じています。
「習慣は第二の天性をなす」
よい習慣を身につけることで規律正しく、超えてはいけない一線であるところの「分限」を学んでいくと説いています。
誰しもよい事はわかっている。しかし実践されない、長続きしない。
しかし、それをやり抜こうとするのは自己成長したいという心の強さによる。
継続が習慣となり。運命が変わっていくというのである。