2017年8月6日(日) 1002回目
<仮装した祝福>
故渡部昇一氏のお言葉。
英語の諺(ことわざ)に、「a blessing in disguise」(仮装した祝福)とあるように、一見不幸な出来事も仮装しているだけで、実は天の祝福、恩恵なのである。
生きていれば誰にでも、辛いことや不幸と思いたくなるようなことはあります。言い換えれば苦難とでもいいましょうか。でも、それを乗り越えた時、その出来事の重要性が見えてくる。人間はどうやら苦難というものを乗り越えてこそ成長があるようです。
そのように考えてみれば、苦難との向き合い方、受け入れ方が変わってくる。「これは、天が下さった成長への機会なのだ」、と思えば救われるように思えたりします。
苦難の渦中にいる時は、そのようなことを思うことは容易ではありませんが、諦めないこと、希望をもっていくこと、そんなふうに思いたいわけです。
致知6月号の鈴木秀子氏の言葉より抜粋。
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苦しみを経験した後、年月を経て人生を振り返ってみた時、「あの時は、本当に想像を絶するような苦しみだったけれども、顧みると自分が一回りも二回りも大きく成長していた」「苦しんだ分だけ大きく成長していた」「苦しんだ分だけ人の痛みや悲しみが分かるようになっていた」としみじみ思うことがあります。
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亡くなった父は、「苦しみこそ人生」と言っていました。生きるということは、楽しいことばかりではなく、辛いことや苦しいことがあります。でも辛いことや苦しいことばかりでもありません。それが人生というものだから、自分の大きく成長させていくものが人生というものだと、父の言葉から思うわけです。