2015年4月2日(木) 197/365
<文・行・忠・信>
皆さんおはようございます。
致知3月号より
「論語と二宮尊徳 実行を尊ぶ教え」より抜粋
*******************************************************************************************
論語、「子、四を以って教う。文・行・忠・信」(し、よつをもっておうし、ぶん・こう・ちゅう・しん)
先生は、四つのことを教えられた。
文を読むこと、行うこと、まごころを尽くすこと、嘘偽りのないこと。
「文」とは本から学ぶことです。
言葉の力、表現力を身につけるといっていいかと思います。
「人間力」が培われるものです。
「行」とは、人の道の実践躬行(きゅうこう)です。それと気づいたら直ぐに実行することです。
「忠」などという古い封建的な徳目と思われがちですが、そうではありません。
真ん中の心、「まごころ」を尽くすことです。
「信」とは、口で言うことと行動することが一致していること、つまり、嘘偽りのない「まこと」のことです。
それが人からの信用や信頼を得るということです。
*******************************************************************************************
なんとも意味深い論語であろうか。
「文」。知識を深めるためには、人の話を聞くこと、本を読むこと。この2つしかない。
このメールを書くために本を読むようになった。自分のちょぼい知識だけでは到底無理。
そして、このメールは感想文のようなもの。そこそこ勉強になっています。
「行」。万人幸福の栞では、「気づいた時に、気がるに、喜んでさっと処理する。気づくと同時に行う。」
これは成功の秘訣、健康に秘法である。
気づいた時、それはその事を処理する最好のチャンスである。それをのばせは、次第に条件がわるくなる。
事情の最も高潮に達した時、その波動が、人の脳に伝わって気がつくようになっている。
と説かれているます。
我々は日常生活の中で多くのことに気づく。気づいても流していく。
気づいたことをやれば上手くいくという。
正しい気づきのために正しい考え方を磨いていく必要がある。それが「文」である。
磨き続けて正しい実践をすれば、よい気づきがあるように思う。
よい気づきは天からのメッセージと捉えたい。だから、上手くいくはずであると思いたいのです。
「忠」。真心(まごころ)は、真ん中の心。つまり嘘偽りのない純な心ということであろう。
しかし、真ん中の心に覆い尽くされている雲が厚いのだ。これでは、光が届かない。
もっと、「文」と「行」を実践せねばいけない。
「信」。言行一致。ついつい出来もしないことを口に出してしまう。これでは、信用も信頼も得られない。
リーダーは言ったことはやる。やれないことは言わないということだろうか。
「文・行・忠・信」、人間の正しい生き方の基本のように思う。