2015年4月1日(水) 196/365
<静かなる自分>
皆さんおはようございます。
致知3月号 禅語に学ぶより抜粋
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「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」
昼間の雑踏の中では、一輪の梅の香りに気がつかぬであろう。
ましてや心に悩み事、考え事があれば、気がつこうはずもあるまい。
姿勢を正し、心を澄ませることによって、広い大きな世界に気がつかされる。
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私の尊敬する和尚は、奈良の世界遺産である金峯山寺で修行。
その和尚から「鈴木さん、お堂の前で座って来なさい!」と言われた。
6年位前だろうか。
言い付け通りに金峯山寺に向かった。その日は、平日ということもあり人影はない。
一人、御堂の前に座った。案の定、落ち着かない。
深呼吸をして目をつぶると場の雰囲気もあってか心のざわつきがなくなってくる。
目線はロウソクに向かっていたが、自然と目を閉じていた。
ふと目を開け時計を見ると30分が過ぎていただろう。体感は5分程度。
なんとも言えない感覚であった。
帰る道中、その感覚が忘れられず気づいたことがある。
「動と静」である。
毎日をわき目も振れず激しく動いている自分、すなわち「動」
心静かに呼吸を整える自分、すなわち「静」
この動と静のバランスが極めて大事であると思った。
どうやら「動」の毎日であったように思える。
これでは、自分が自分でなくなり周りが見えなくなってくる。
御堂の前の自分を「静かなる自分」であると名付けた。
日常に於いて「静かなる自分」をつくり、心のバランスを整える訓練していくことが大事であり、それが自分の心を見ることではないだろうかと思った。
「動」に振り回される事なく、「静かなる自分」を見つめることが、自分の世界観を広げることになるだろうと思えています。