2015年3月11日(水) 175/365
<あれから4年>
皆さんおはようございます。
2011年3月11日、14時46分 東日本大震災発生。
テレビでは信じられない映像が流れていた。
震災15日後だったろうか、石巻市の開北小学校に救援物資をもっていったことが
昨日のことのようである。
プールからバケツリレーで水を運んでいる。避難地である小学校に会話はない。
一言で言えば、「絶望」である。
我々には、帰る家があるじゃないかと無言の言葉が聞こえてくる。
辺り一面、戦後の焼け野原と一緒である。
あの時の光景が目に焼き付いて、この話をする時は、蘇ってくる。
多くの人命を失い、絶望と悲しみ。
こんな事を言っては、誤解を招きかねない、大変失礼であると思いますが、
私達は、あの震災でいったい何を得るができたのだろうか。
亡くなられた方々は、老後に夫婦で旅行に行こうと考えていた人、
学校入学を楽しみにしていた子供達、
でも、一瞬で何もかも失ってしまった。
誰しもが当たり前に明日がくると思っている。私もそうだ。
しかし、明日の命があるか分からないということ。
人生80年というが、80年ではない。明日、命があるという保証はない。
明日、死を迎えると分かっていたら、何をするであろうか。
きっと、思う存分、時間を大切にして後悔のない時間を過ごすだろう。
思う存分に生きること、命というものに向き合っていくだろう。
生きるということは、死の準備ともいえる。
毎日を精一杯、生きていけば、きっと、人生最後を迎える時に、
「もっと、やっておけばよかった!」というような後悔はないだろう。
一度の人生、思う存分に楽しんで生きていきたい。
自分の使命というものを全うしていきたい。