2015年3月6日(金) 170/365
<実践ゴミ拾い>
鍵山秀三郎氏著、「掃除道」より その21
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私は、毎朝、自分の会社の周辺と道路掃除をしています。バス停にはいつも五、六人、多い時には十人もの人がバスを待っています。
その目の前で、ゴミ拾いをすることは、なんとなく気恥ずかしいものです。
ましてや、その人たちの足元に落ちている吸い殻を拾うのには、相当の抵抗があります。しかし、人間というものは、そうした抵抗を超えていくことで心が鍛えられ、より成長できるものだと思います。ですから、吸殻を一日に少しずつでも拾って歩けば、そのたびに大きな勇気が得られることになります。
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自宅や会社内のゴミは拾うことはできても、それ以外のゴミを拾うことは中々できません。私の尊敬する浜松南倫理法人会の鈴木会長は、いつもポケットにゴミ袋が入っていて、躊躇なく拾っている姿を見ました。
そこには、単に拾っているということではなく、自分に挑戦、自分への変革への強い念いを感じました。倫理の教えを確実に実践している姿を拝見して尊敬いたしました。
ゴミを拾う。至って簡単な動作である。しかし、なかなか出来るものではない。
そこには、
・面倒くさいと思う自分。
・なんで俺が拾わなければならないんだと思う自分。
・俺が捨てたわけじゃないと思う自分。
・拾ってなんの得があるんだと思う自分。
ゴミを拾うということは、いったいなんなんだろうか。
・ゴミを拾うということは、周囲の人の目線を気にしない強い意志をもった自分をつくることができる。
・ゴミを拾うということは、継続する強い心をつくることができる。
・ゴミを拾うということは、正しい実践力を養うことができる。
そんなことであろう。
浜松南倫理法人会の鈴木会長の実践力を拝見し、自分の実践の弱さに気づきました。やはり実践。実践には勇気。勇気の源泉は信念。