2015年2月18日(水) 154/365
<便器から学んだこと>
鍵山秀三郎氏著、「掃除道」より その5
**********************************************************************************************
トイレ掃除は、素手で行います。素手のほうが髪の毛1本まで直接感じ取ることができるからです。
人間の指先は非常に敏感にできています。その敏感な指先から直接感じ取ることが、問題解決の早道だと信じているからです。
ゴム手袋をしたり、長い柄の道具を使いますと、その分だけ得る感覚から遠ざかってしまいます。
自分の子供の”おしめ”を替えるとき、手袋をするお母さんはいないはずです。
素手で触るからこそ、子供の病気の状態から健康状態までわかるのではないでしょうか。
大事なことは、直面する問題から逃げるのではなく、できるだけ近づいて対処することです。
**********************************************************************************************
長い間トイレ掃除をやってきましたが、当時はやった気になっていた自分がいました。
4年ほど前、倫理法人会の富士研という2泊3日の研修でトイレ掃除の時、インストラクターが素手で便器に手を突っ込んでいる姿を見て、正直、唖然。俺には出来んと思いました。
便器は汚いもの、トイレは不潔な場所であると思っていた自分がいたのです。
4年前、思い切って素手で始めた。素手で便器を洗う。素手でなでる。素手で便器を水で流す。不思議と素手を通して便器が若返っていくのが分かる。
言葉では表現が難しい感覚があった。
体験した人だけが味わえる誠に不思議な世界である。
今では、この経験がトイレ掃除の考え方を作ってくれた原点ともいえる。
トイレは人の排泄物を受け取ってくれる場所。それは、感謝に値する物と考えたい。
トイレ掃除とは、自分を創るもの。心を磨いていくもの。人間力を高めるもの。
そんなことを思うよになりました。
まだまだ、磨き立らない自分がいます。