2015年2月6日(金) 142/365
<生きるということ>
皆さんおはようございます。
東京大学先端科学研修センター教授 福島 智氏は、9歳で目が見えなくなり、18歳で耳が聞こえなくなった。いわばヘレン・ケラーと同じ状態である。
私には到底想像も出来ない世界である。
その福島 智氏と北方謙三氏の対談記事(致知2月号より) その1
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テレビに例えたら、見えなくなるというのは、画面を消して音だけ聞いているという感じ。
聞こえなくなるというのは、音を消して画面だけ見ている感じですが、私の場合、スイッチを切ってコンセントを抜いたのと同じ状態になって、ものすごいどん底に落ち込んだわけです。
見えなくて聞こえないという過酷な状況の中でどう生きるかというのは、ある意味戦場にいるようなもので、毎日がその作戦行動をするような感じなんです。
辛いけど頑張りましょうといった甘いものじゃなくて、もっとギリギリの所で生きているんです。
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人間は、口で喋り耳で聞いてコミュニケーションが成立するのだが、盲ろう者の方にとっては、その関わりが難しい。
光と音が失われた状態はとても想像できない。
福島氏は東京大学の教授。盲ろう者として常勤の大学教員になったのは世界初だそうである。福島氏は、どん底の淵から立ち上がり、現在に至る精神力の強さは凄まじいものであったに違いない。
五体満足というだけでどれほど幸せなことだろう。
今日生きることに命がけで戦っている人達に比べ、私達は日常に不平不満をいい、明日に不安を抱いている。
私達はいったい何をすればいいのだろうか。
私達の役割りはなんであろうか。
そして、私達にいったい何ができるのだろうか。