2014年11月23日(日) 67/365
<割れ窓の理論>
皆さん、おはようございます。
私の親友である運送会社の経営者から聞いた話である。
田舎道に行くとたまに見かける光景。随分前から閉まったままの店や、誰も住んでいない家屋。ガラスの窓の殆どが割られ落書きがされ、ゴミが投げ捨てられ廃墟になっている建物。要は、一枚の窓ガラスを割れたままにして放っておくと廃墟になっていくプロセス。
窓ガラスを割れたままにしておくと、その建物は十分に管理されていないと思われ、ゴミが捨てられ、やがて地域の環境が悪化し、凶悪な犯罪が多発するようになるという犯罪理論。これを割れ窓の理論という。
地元の某運送会社、その会社とは過去にお取引をしていた経緯があるが、社長は何しろネガティブで、不平不満、幹部や社員の愚痴をこぼす人であった。遠ざけているうちにお付き合いが自然消滅していった。その後、計画倒産した後、社名を変え社長も別人に変わり、今も細々と運営をしているという噂を聞いた。
先日久しぶりにその会社の前を通った。倉庫の隅に積み上げられている廃棄物の量が半端でなく、ぐちゃぐちゃで目も当てられないほど汚い構内。驚いたのは、お取引があった当時の幹部さんが社屋の前に立っていた。年齢は50才半ばぐらいのはずだが、見た目はどう見ても老人。何と言えばいいのだろうか、要はみずぼらしい。まるでホームレスのような風貌と化しショッキングな光景であった。
割れ窓の理論は、建物や車のような「物」に対してのみならず、「人」に対しても当てはまる。放っておいてはいけません。互いに声を掛けあい、会話を交わし、関わらなければ人間の心も廃墟を化す。
この話を親友から聞いた時に、「幸運」も「不運」も源は己自身であると感じた。運送会社のトラックが汚く、室内がゴミだらけでは、一枚の割れたガラスと同様である。そしてドライバーの制服が真っ黒で汚れ、無精ひげだとしたらどうだろうか。このような物と人には、不運な悪魔に好かれることは言うまでもない。
ツイている人とツイていない人の違いは、目に見える形で存在している。
私達は、好運の女神様に好かれるように、身の回りを見直していこう。