2014年11月7日(金) 51/365
<京都で学ぶ、その5 勝手主義>
皆様、おはようございます。
昭和40年頃、戦後復興から高度成長期に入り、豊かになり始めた頃、資本主義というお金が重要視され、道徳観が置き去りにされていった。それは、資本主義を履き違え勝手主義と変貌していったという。
もう一度、道徳というものを考えてみようと松下幸之助氏は提唱し、全国の小中学校の学校長、国会議員、市、県会議員、全国の警察、裁判所の判事、検事、経済界などに「道徳は実利に結びつく」という冊子を20万部配布した。これが大反響となる。
道徳とは、善悪の判断基準である。つまり何が正しいか、正しくないかを見極めるものであるという。それは、物事をより良い方向に発展、繁栄させる考え方であり、破壊、衰退させる考え方は、間違っているという。そして、人間の持ち味、個性を十分に発揮され、一人ひとりが活かされる考えが正しく、それを否定する考えは間違っているという。
ここまで、道徳というものを真剣に考えていただろうか。いや考えていない。自分勝手に自分が正しい、相手間違っているという勝手極まりない自分でいたのではなかろうか。なぜなら、自分が間違っていると認めたくなく、自己意識の中で自分を正当化し、自分の考えを判断基準にしていたのではないだろうか。これは、相当に自己鑑賞をしないと誤った方向にいってしまう。分かっているようで、分かっていなかった。
何が正しいか、正しくないか。勉強していこうと思う。