2018年5月5日(土) 1007回
<人生の糸>
迷子のすすめ(春秋社)より抜粋 その1
阿 純章著
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ある少年が森で遊んでいると、不思議なおばあさんに出会い、銀色に輝く魔法のボールをもらった。ボールからは金色の絹糸が垂れている。
おばあさんがいうには、これは人生の糸だという。糸にさわらなければ時間は普通に過ぎていくが、もしも、もっと時間が早く過ぎてほしいなら、この糸をひっぱればひっぱった分だけが時間が先に進むのだ。しかし、一度ひっぱった糸は決してもとには戻せないという。
少年はこの珍しい贈り物を大喜びで受け取り、家にかえってこっそりと眺めては、いつ使おうかと空想してワクワクした。
次の日、学校の授業中も、うわの空で、先生からこっぴどく叱られた。今日は嫌な一日だな、と少年はほんの少し糸をひっぱってみると、あっというまに授業が終わった。これで嫌なことは何もしなくて済む。人生は本当に楽だと、飛び上がって喜んだ。その日から、少年は毎日のように糸をひっぱるようになった。
はやく授業が終わらないかな、早く学校を卒業できないかな、早く大人になって仕事ができないかな、早く結婚できないかな、早く子供ができないかな、と思うたびに糸をひっぱった。楽しいことが待ちきれない時にもひっぱり、心配事があればひっぱり、苦しい時にもひっぱり、気がつけば糸はあとわずかしか残っておらず、少年は老人に成り果てて余命あと僅かになってしまった。
その時になって、ようやくはたと自分の人生を振り返り、幸せを追い求めるばかりに人生を台無しにしてしまったことに気がつき、どうにかならないものかと、かつておばあさんと出会った森に久しぶりに戻ってみることにした。
すると急にうとうとと眠くなり、夢かうつつか分からぬ状態の中で、数十年間前とまったく変わらぬおばあさんの姿が見えた。
そこで老人になった少年は、もう一度、自分の人生を経験したいと決意して魔法のボールをおばあさんに返すことにした。
気がつくと老人はふたたび少年にもどり、自分のベットの上に横たわっていた。これが全て夢であったことが分かり、ほっと胸をなでおろし、それからは嫌なことも苦しいことも含め、日々の生活を大切にするようになった。
私たちもこの少年みたいに魔法の糸をたぐり寄せるかのように、自分の求めているものばかりをめがけて先を急いで生きていると、結果として人生が虚しくなるのではないだろうか。人生という糸はどのみち一本なのだから、身に起こる一つ一つの出来事、一つ一つの出会いをゆっくりと味わい尽くしたらどうだろう。
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どうやら、私たちは、楽しいことばかり、よいことばかりを追い求めて、結果として嫌なことや、苦しいことを、上手に避けようと考えているのではないだろうか。
この本の中に、次のようなことも書かれている。
「幸せを感じる分だけ、不幸も味わらなければならない。ボジティブに生きようと思って、少しは気持ちを切り替えて元気になることができても、残念ながら、人生はずっとポジティブなだけではいられない。ボジティブな気分になったかと思えば、ネガティブな気分になったり、どちらかだけというのはありえない。
幸福と不幸、喜びと悲しみ、楽しみと苦しみ、愛と憎しみ、希望と失望、信頼と裏切り・・・・・。それらは常にセット商品で単品販売のお取り扱いはない。そんな相対の世界を行ったり来たりしているのが人生だ。」
嫌なことや苦しいこと、それは、人生において避けて通れないことであって、その出来事に素直に向き合うことが、自分を強く成長させてくれることではないだろうか。つまり、自分にとって必要だから起きていると考えた方が前向きになれる。
亡くなった父が、「苦しみこそ人生」と言っていたことを思い出すのです。