2018年5月20日(日) 1009回
<苦難と向き合う>
迷子のすすめ(春秋社)より抜粋 その3
阿 純章著
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『涅槃行(ねはんぎょう)』という経典にこんな話がある。
ある日、一人で寂しく過ごす男の家の戸を叩く者がいる。誰かと思って開けると、そこには美しい吉祥天女が立っていて、「身寄りがないので住まわせてもらえないか」と言う。吉祥天女といえば幸運をもたらす福の神である。男は大喜びで招き入れ歓待した。
すると、しばらくしてまた戸を叩く者がいる。戸を開けると、そこに立っているのは、見るからにみすぼらしい身なりの醜い女性であった。彼女は黒闇天という名で、行くところに必ず災いをもたらす疫病神であった。
男は、せっかく福の神が来てくれたのに、疫病神なんかに来られてしまったら台無しだと、血相を変えて黒闇天を追い払った。すると黒闇天は男に向かって「あなたは愚か者ですね。さっき入って言った吉祥天女は私の姉で、いつも一緒に行動しています。私を追いだせば、吉祥天女だってこの家から出て行きますよ」と言った。そして、その通り、吉祥天と黒闇天は、肩を並べて去って行ってしまった。
福も災いも一心同体の関係だ。福ばかり求めて不幸を避けようとすると、かえって福も逃げていく。人生、良いこともあれば、悪いこともあるが、何一つ無駄な縁はない。
そもそも縁というのは本質的に良いも悪いもないのだと思う。人生幸福だとか、不幸だとかいうものは、現実がもたらすのではなく、現実に対して自分の思考が引き起こす感情である。少なくとも仏教はそう考える。人生を惨めにするのも、実り豊かにするのも、いつも自分自身なのである。
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昨年、亡くなった父の言葉を思い出します。「人生には3回のチャンスがある。でもチャンスは目に見えないものであり、苦しみの後にやってくるものだ。苦難に見舞われてもチャンスは必ずくると信じ、陰日向なく努力を続けること。そして自分を信じて誠実に仕事をすること。苦しみを乗り越えてこそ人生である。」と教えられました。
たくさんの苦しいこと、辛いこと、困難を乗り越えてきた父でしたので、その言葉の重みを感じたのです。この教えは、倫理法人会の万人幸福の栞にあります「苦難は幸福の門」であると思ったのです。
苦難は、出来れば来ない方がいいと思うし、出来れば避けて通りたいものです。でもどうやら、苦楽というのは表裏一体で避けては通れない、逃げられないようです。苦難の深さ、大きさは、その時々で様々ですが、苦難を乗り越えていくことで、人は強くなり人間としての深みや味わいという人格がつくられていくのでしょう。
そのようなことを考えていくと、避けて通れない苦難であるならば、苦難に素直に向き合い受け止めるという、苦難に対する向き合い方が変わってくるように思えるのです。